露と落ち 露と消えにし 我が身かな 難波のことも 夢のまた夢
豊臣秀吉という戦国時代の武将について、日本人なら誰しもご存知かと思います。
ただの庶民であった身分から数々の功績を挙げて最終的には天下人にまで上り詰めた人物です。立身出世の代表格のような人物であり、一代にして大阪城などから分かるような莫大な財産と地位と名誉を築きました。
この豊臣秀吉が辞世の句として詠んだと伝えられるのが
「露と落ち 露と消えにし 我が身かな難波のことも夢のまた夢」なんですね。
どういう意味かと言いますと、花や草につく水滴のように落ちて消えていく自分にとって、天下人としての華やかな日々も夢の中で夢を見ているようなものだったという意味だそうです。
名も無い百姓だった豊臣秀吉は、頑張って頑張って高みを目指していきました。国の王になったようなものですから、それはそれはすごいサクセスストーリーなのですね。一庶民が内閣総理大臣とかアメリカ大統領とかになってしまうようなものでしょう。
生まれは農家の子供だったそうで、当時の百姓も今の私たちと同じように地位や名誉、財産をもてば幸せになれると考えたでしょう。自分の人生を出世に夢を見て、簡単に語るようなことではないくらいの努力をしたのだと思います。
結果としては妻以外にも女を取っ替え引っ替えしていたとされていますし、部下に何でも命令できるほどの地位にたどり着きました。素晴らしいじゃないですか。たくさんの女性と関係をもち、何でも手に入る財産と、誰もが平伏す権力を持つ、まさに完璧な成功者でしょう。
しかし、晩年に彼が詠んだのは上記の句でした。この句には色々と豊臣一族の行末を案じた意味もあるとの解釈もあると思いますが、やはり言葉通りの意味で彼が心情として吐露したものは、
どんなに地位や名誉、財産を気付いたとしても結局は露のように消えていく儚い人生だった。あの華ばやかな日々もただの夢の出来事のように思えると嘆いたのです。それが豊臣秀吉の後悔なんだと思います。
私たちは、人生の成功を自分がどれだけ社会で認められるか、そしてどれだけたくさんのお金を稼ぎ、財産を持つかで測ろうとしがちです。でもあらゆる著名人や偉人たちがその考えに対して懐疑を抱いていることから、幸福にたどり着くためにはこの方向に進んでいくこと自体が間違っているのだと思います。
現代は消費主義の社会です。ものをたくさん持っていると羨ましがられたり、ものをたくさん持っていると満たされた思いを抱くようなことがありますが、結果として、それが人生の幸福につながるかといわえれれば、違うのだと思います。
ものを買うためにやりたくもない仕事をして、ものを買ってもまた別のものを欲しくなるのでそれを買うためにやはりしたくもない仕事をして、これの繰り返しを続けている人は多いようです。これが消費主義の弊害ということでしょう。
ものを買うためにはお金が必要です。何をするにもお金は必要なので、やはり重要なのはお金という意識になります。そうやってお金をどうやってたくさん持てるかにばかり考えがいってしまい、人生を二の次にしてしまうのが大半の人々なんだと思います。
物を買えば一時的な幸福感を味わえます。所有欲を満たせて満足します。でも、それはほんのひとときの快楽に過ぎません。
例えば高い輸入車を買ったとしましょう。たくさんのお金がないと買えない車ですので、当然買って納車した時は幸福の絶頂でしょう。しばらくはこの満足感が続くと思います。
やがてこの満足感が収束してくると、今度は違う部分が目立ってくるようになります。お高い車はランニングコストも高いので、毎年の自動車税、車検、ガソリン代、その他諸々の経費が嵩むので出費が増えて財政を逼迫するようになるでしょう。
さらに追い討ちをかけるように、その車の新モデルが発表され、自分が乗っている車よりも魅力的なデザインだったり機能が備わっていたりした場合、途端に自分の車がつまらないものに思えてくるかもしれません。
やがてその車を保有することに苦痛を感じる時が来たりすれば、もはや購入した頃の幸福感や満足感なんてものはとっくに消えさって後悔が滲むようになることだってあるでしょう。
「俺はこんな物を買うために毎日嫌な思いをしながら仕事をしてきたのか?」
欲しいものと必要なものは全くの別物です。前者はあくまで自己満足のみで体裁や自慢のために買わんとするものです。例えば自分へのご褒美でブランド物のバッグを買うとかそういうものも入ります。
必要なものとは自分が今後の人生でそれがないといけないもの、或いはあることで効率化が測れるようなものです。これはあくまで将来のための投資なので買って後悔するということは少ないはずです。
どれだけの財産や地位があっても、それは幸福とは直結しません。満たされない思いを物で満たそうとするのは消費社会の罠なのでやめましょう。自分が死ぬ時、どれだけの物を買ってきたかで人生の良し悪しを図れるでしょうか。