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地方銀行と証券会社で働く筆者のお金にまつわることを発信するブログです。

ミリオネアマインドの考え方part1

金持ちになれる人は、自分の人生は自分で切り拓くと考える。お金に縁のない人はなぜかこんな人生になってしまったと考える。お金に縁のない人は被害者を演じるのが好きなのだとのこと。自分は可哀想だと思っている人間は、思考が現実化し、可哀想な人間になってしまう。

 

 

被害者を演じていることを見破るには三つの方法があるという。

一つ目は自分の責任を認めず責任転嫁したがること。悪いのは自分ではなく、経済、上司、部下、業界、世界、運勢、相場などなど、自分以外の責任にして、自分だけは悪くないと思っている人間である。

二つ目は「正当化」である。とりわけここでの解説はなるほど納得する説明だったので頭に刻み込んでおきたいと思う。

「重要なのはお金じゃない」とか「お金なんて取るに足らない」と主張する人がいる。確かにこういう言葉はよく聞く。だがこの発想は大いなる過ちであるのは事実だ。これは齋藤一人さんだったか、でも同じようなことを語られていたが、お金はお金を大切にする人の元に集まるのだという。前述の言葉を家族や友人、恋人や配偶者に置き換えてみると分かりやすい。

 

 

「重要なのはお前じゃない」「お前なんて取るに足らない」相手にそう言っているのと同じだ。これで好かれるわけがない。お金の経済的重要性や社会の価値を知っているものであれば、こんな言葉は出てこない。また「お金よりも愛情が大切だ」という言葉も誤っている。そもそも比較するべきものではないしどちらも大切だ。優劣をつけるべきではなく、その意識がお金を自ら遠ざけているのだ。

 

 

三つ目は「愚痴」である。引力の法則というものがあるが、悪いことばかりに意識を向けると、それがどんどん寄ってくるのだ。金持ちというのは成功している人間のことを指すわけで、成功をしている人間はこれらの責任転嫁、正当化、愚痴は出てこないのだ。これらを日常的にしている人間は自らを下賤たらしめていることを意識し改めなければならない。

 

 

また、金持ちは成功と富を目指すが、お金に縁のない人は生活に困らないレベルを目指すということ。一般家庭の考える生活に困らないレベルというのは快適な暮らしというレベルである。ファミリーレストランならいけるのであれば、とりあえず生活には困らない。食べることはできて、外食もできる。そこそこ快適な生活ができていることに満足している人々は、そこが終着点でありそれ以上の高みを目指すことはできない。

 

 

常に上を目指す意識を持たなければいけない。目標とする資産や年収を明確に掲げる、それもそこそこではない目標を。そしてファミリーレストランではなく高級レストランで食事をすること。ただ贅沢をするという意味ではない。意識を変えるための訓練である。

 

 

金持ちになるためにはそれこそ他を犠牲にする覚悟を要する。絶対に金持ちになるという強い意志が必要だ。お金持ちにはなりたいけど、お金持ちになったら色々とおかしな人間に絡まれたり金銭感覚が麻痺して嫌な人間になるかもとかお金目当ての人間に囲まれるかもとかそういったマイナスイメージを抱いている時点でお金持ちになることを深層心理で否定していることになる。あくまで絶対に金持ちになるという思いで努力する必要がある。楽して金持ちにはなれない。